恩と仕打ち

obligation 日常の生活で必要な戒め

見極めが大事

今回のタイトル、恩と仕打ちは対義語と言ってもいいくらい逆の意味を持っていますが、両方とも人が自分以外の誰かにする行為という捉え方で考えると共通している事柄だと言えます。

そういう意味ではこの2つの言葉は本来の意味は逆でも深い関連性があります。

恩のようでも実は仕打ちだったり、仕打ちのようでも実際は恩であったりします。
最近は社会に明るい要素が乏しいせいか、そういうケースも多くなって来ているのではないかと思います。

恩の方であれば結果はオーライかもしれませんが、恩だと思って実は仕打ちであればたまったものではありません。
余程相手が巧妙な人でない限りはそれが本当に恩であるのか、そうではないのかを見抜く事が出来ると思います。

「恩着せがましい」
という言葉がありますが、そういう風に見返りを期待して誰かに恩を働こうとしている人には要注意です。
そういう人は見返りが期待出来ないと分かると途端に手のひらを返すように仕打ちをしてくるようになって来ます。

恩というものは人が人の為に尽くす事なので本来見返りなんてものは無いのが当たり前です。
見返りなんか無くてもその人に尽くしたいという気持ちが恩になります。
それでは冒頭の方でお話しした、仕打ちのようで恩であったという状況はどうでしょうか?

これに当てはまるメジャーな言葉としては、
「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」
というものがあります。あえて厳しさを教える事で強い精神力を鍛え上げる結果となりますが、これ自体は仕打ちのような行為ですけど、結果的に恩に変わると言えますね。

物事は捉え方でも変わって来ますが、明らかにどうやって捉えても仕打ちとしか捉えられないという事もありますので、その判断は非常に難しいかもしれません。
仕打ちとしか解釈出来ない時でも、今一度広義でもいいので恩と解釈してみて下さい。

そこで少しでも自分が立ち返れるだけの恩となり得ると理解する事が出来ればしめたものです。
相撲の世界で言うような恩返しをしてあげれば、きっと気分はスカッと晴れて来るでしょう。

 

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