差別はするべきではない
どんな形であれ組織に所属するようになると、多かれ少なかれ自分が誰かに評価される場面に当たる事があります。
学校の通信簿は典型的な事例だと言えます。
あとはボーナスの査定なんかもよく聞く話ですね。
結果はその時によって良くもあったり悪くもあったりで、それに一喜一憂するのが世の中の常みたいになっています。
人が人を評価するのはとても難しい事ではないか、それは誰しもが感じている事だと思います。
そういう意識は無くても結果的に差別してしまうような評価になってしまった、といった状況はよくありますので、フォローは難しいですけど絶対に必要です。
評価と差別の境が難しいと感じる人もいらっしゃいます。
人間が人間を評価するのであれば、どんなに公平なつもりでも評価された方にとってみれば偏った評価だと思われる事だって有り得ます。
良くも悪くも行き過ぎた評価が差別に繋がって来ますので、評価する方も慎重に評価をして、また評価される方もその評価の内容を理解して、その評価に納得する事が大事です。
例え自分が思ったよりも低評価だったとしても、妬み心は持たずに謙虚に受け止めておいた方が、後々にそれがいい方向に繋がる可能性もあります。
最近は意図的に偏った評価がされるという事例が世間を騒がしているので、そういう風潮が強くなって来ているのではないかと懸念されます。
その偏った評価の為に本当に実力があっても認められずに、最悪路頭に迷わなければならないなんて状況も実際にあります。
評価する方は例え自分よりも秀でた能力があると感じる人でも、しっかりと公明正大に評価する事が自分自身の評価にも繋がって来ますので、評価する方も嫉妬心などは以ての外です。
逆にそういう邪な心で人を評価すれば必然と偏って来るので、そういう人は評価する事自体するべきではないでしょう。
周りにも自分自身にも正直な人の方が評価には向いていると言えます。
屈託のない人物が評価した物事は偏りが無いので、誰から見ても正当な評価だと思われます。
そもそも評価というものは、偏った心の無い中立の人が評価をするのが本来のものだと思いますので、それに適った人が評価するべきですね。
評価する人の人間性が重要です。
むしろ評価というものはその人間性が一番大事になって来るのではないでしょうか?
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